宿坊をチェックアウト。一乗院のお坊さん、お世話になりました。
少しでも楽に奥の院入り口まで行こうと考え、最寄りのバス停に向かったのですが、どうやらかなり次の便まで待たされそうなので、バスは諦め徒歩で向かいます。
朝からあちこちにお坊さんの姿。一眼レフを抱えたお坊さんも見かけましたので、おそらくはお坊さんも全国から高野山へ来ているのでしょう。
バス停のベンチ(↓)・・・
普通に仏像が並んでいますが・・・
さて、徒歩で向かったおかげで、高野山の町並みを堪能することができました。
目立つのは和菓子屋と薬屋ですね。
なんかもう、めちゃくちゃ古風です
芋あん(¥200)、食べてみたかったけれど、朝食を頂いたばかりですし、先を急ぐことにしました。(だいぶ後悔してますが・・・)
高野山を含む【紀伊山地の霊場と参詣道】は2004年に世界遺産に登録されましたが、“文化的景観”込みの登録ですので、こういった薬局や和菓子屋も貢献したのだろうと思われました。
少し言葉が聞かれましたが、日本人ではなかったようです。
【十町】と刻まれている石碑(↑)は【高野山町石】と呼ばれるもので、高野山への道標(道しるべ)として、1町(約109メートル)ごとに高さ約3メートル強の五輪卒塔婆形の石柱が建てられ、高野山上の壇上伽藍・根本大塔を起点として慈尊院までの約22キロメートルの道中に180基、大塔から高野山奥の院・弘法大師御廟まで約4キロメートルの道中に36基の、合計216基の町石が置かれています。
鳥居の右手には【十三町】とあります。元々は山の麓からこの石にお参りしつつ根本大塔へ向かうのが高野山詣でだったらしく、ブラタモリでも紹介されていましたね。
恵光院(↑)の門構えは一乗院に似て良さげです。
ぷらぷらとのんびり歩いているうちに、奥の院の入り口である【一の橋】へ到着です。ここは聖地奥の院へ向かう正式な入り口と言われており、弘法大師(存命!)が居られる御廟までここからおおよそ2kmの距離です。
墓、墓、墓・・・墓だらけの道が始まります。1200年の時を超える道です。
※次回、墓だらけ・・・
LX100m2は暗所に強いところを見せつけます。