墓・墓・墓
観光地であり巡礼地でもある
いわゆる“奥の院”は、入り口の“一の橋”から歩くと2㎞を超える道のりとなります。
いきなりバスで【奥の院前】まで行って、奥の院のほぼ中間地点である“中の橋”からスタートいう選択肢もあるのですが、それだと昨日紹介した【武田信玄】【伊達政宗】【石田三成】【明智光秀】【上杉謙信(※撮影漏れ…)】【大阪老人クラブ連合會】などを見逃すことになります。
※バスで行く場合、【一の橋バス停】で下車をし、往路数カ所で道が枝分かれしていれば、左の道を選んで行くと良いです。帰りは中の橋バス停へ向かっても良いです。
【芭蕉句碑】なんてのもあります。
当然墓碑に目が行くのですが、高野山は苔が綺麗で綺麗で・・・
法然上人
本格派は四国お遍路とセットで高野山に参ります。空海の修行の道を辿るのが本筋なんでしょう。
豊臣家墓所
さすがにかなり広い敷地を有しておりました。ここに到達するまでに、毛利家、島津家、前田家など有力どころの墓所もあるのですが、豊臣家は別格でした。
さて【織田信長】!! 戦国武将の象徴でもあります。
豊臣家に比べればかなり小さく寂れた印象もあるのですが、考えてみれば高野山の多くの僧を処刑した信長の墓(供養塔)がこの地にあるのは不思議でもあります。
真言密教には【誰もが平等で救われるべき存在】であるという考え方があり山全体が聖地とされる高野山は古くから「天下の総菩提所」と呼ばれ、ここを浄土と信じた人々の墓が分け隔て無く集まっております。宗派の異なる浄土真宗の親鸞上人や浄土宗の法然上人の供養塔があるのも、高野山の懐の深さですね。
本能寺の変で自刃に追い込まれた織田信長と、謀反を起こした明智光秀がこの地で共に供養されていることも興味深いです。