少々強引でマニアックでコアな独り言・・・
今回のお話に興味のある方は私と同じで社会的にはよほどのアレなんだと思います。
ガルウイングって聞いたことありますか?
よくある話・・・、『ガルウイングって知ってる?』と聞かれ、スーパーカー世代の多くはランボルギーニカウンタックの、あの上に開くドアを思い浮かべるのですが、ちょっと詳しい人であれば、『あれは本当はガルウイングではなくて、シザーズドア(あるいはシザードア、カウンタックドアとも言う)なんです。ガルウイングの“ガル”はカモメのことだから、もっとカモメの羽に似た形状のドアのことです。』などと蘊蓄(うんちく)を語ってしまうのです。 しかし興味の無い人には何の価値も無い情報です。
本当のガルウイング形状ドア(↓)
つまり、こういう形(↓)のものを“ガル(かもめ)ウイング”と呼ぶわけで・・・
この形状のドアにすることで、当時は重量を削ったうえでボディの剛性、強度を高めることができたらしいのですが、それよりなにより『格好いい!』が第一の理由だったように思えます。
だって、格好付けて写真に写ってますから・・・(↓)
しかし、そもそも空を飛ぶカモメの形状なわけですから、車ではなく空を飛ぶ航空機にこそ、この形状がふさわしい、かつ合理的なわけです。
メリットとしてはその翼形状の美しさだけでなく、操縦席からの視界も向上するなどがあるのですが、しかし皮肉なことに、この形状にするには高い技術力を要し、設計に少しでもミスがあれば致命的に強度を損ないかねないものでもあります。
メーヴェの翼形状は微妙にガル
『鳥のように飛びたい』との夢を抱いたことのある方にとって、ある種の理想型はグライダーなのですが、“エンジンが付いたもの”となると、アニメ【風の谷のナウシカ】に出てくる“メーヴェ”が思い浮かびます。
まさに“風になる”ような夢の乗り物ですが、その翼形状は微妙に“ガル”です。
このメーヴェを実際に作った人がいる、というのを聞いたことがある方、テレビ等で映像を見たことがある方も多いかもしれませんが、アニメのものより翼の屈曲が明確で、これはかなり“ガル”ですね(↓)。
さて、日本のガルウィングの歴史は?
諸外国を見ると、戦前から水上艇などの大型戦闘機にガル翼が採用されたこともあるのですが、これは少しでもエンジンの位置を高く保ち、水に濡れてしまわないためのものでした。ただしこれはレアケース。ガル翼の航空機はほとんど無かったのです。
少数派ですが、アメリカのPBM マリナー飛行艇(↑)やポーランドのPZL P.11、ソ連のI-15などがガル翼を採用。また戦後開発されたターボプロップ飛行艇Be-12でも、海面でエンジンが波をかぶるのを避ける目的で、ガル翼が採用されたのでした。
映画【風立ちぬ】の九試単座戦闘機は逆ガルウィング
さて、ここで話は少し変わるのですが、2013年に公開された宮崎駿作品の【風立ちぬ】。この映画の中で主人公の堀越二郎(※実在した人物)は九試単座戦闘機の試作一号機に逆ガル翼や沈頭鋲を採用するなど独創的な設計を行い、その非凡な才能を開花させ、のちに零式艦上戦闘機(※いわゆる零戦)など優れた飛行機を次々と生み出したわけです。この【九試の試作一号機】に採用されたのは【逆ガルウイング】と呼ばれるものです。 美しい翼形状に、宮崎監督も引きつけられたのだと思います。
翼が途中で屈曲することで、なぜか鳥のような生命感を宿す美しい形状となるわけですが、ガルではなく【逆ガル】の第一の利点は、脚部(車輪)を短くできることです。飛行機は地上ではもちろん車輪が必要なのですが、空中に機体があるとき、つまり飛んでいるときには車輪の存在は重量的にも空力的にも邪魔でしかありません。脚部を少しでも短くすることで、速度も機動力もアップさせることができたわけです。(※胴体に車輪を格納する装置はかつては技術的に困難だったり、エンジン性能と重量との兼ね合いから不利だったりしました)
また、逆ガルウイングであれば、地上でも結果的に胴部の高さを確保することができ、胴下にミサイルや魚雷などをぶら下げるときにも有利でした。
しかし九試はあくまでも試作機であり、大量生産ベースとなれば製造困難なこの屈曲翼は結局のところ太平洋戦争初期には採用されなかったのですが、技術的に遙かに進んでいたアメリカなど欧米の戦闘機では、戦時中に大量生産され、日本との技術力・国力の差を見せつけることとなったのです。
欧米の逆ガル翼
【F4Uコルセア】ですね。見事な逆ガルウィング(↓)です。直線翼よりも躍動感というか“生き物感”が感じられます。当時アメリカの開発技術者の意図としては、『強力なエンジンを搭載したい』ということが優先事項としてあり、“強力=大型”のエンジンを搭載するためには胴部の高さを確保する必要があったわけです。(エンジンが大きすぎて、コクピットも後部に追いやられています)
ヨーロッパ戦線でもドイツ空軍が早々に急降下爆撃機の、
【Ju87シュトゥーカ】を開発。
当時のドイツは航空機、戦車、ミサイルのどれをとっても世界最高水準の技術力を持っており、その最先端技術がその後、アメリカでのアポロ計画にも持ち込まれ、人類が月へ到達することにもなったわけですが・・・
ドイツ、ユンカース社製のJu87(↑)。映画【風立ちぬ】の中で主人公の堀越二郎はユンカース社へ視察に行き、日本との技術力の差に圧倒され、しかも魅了されております。
(Ju87型は計5700機超が製造されましたが、頑丈で無骨に作られた機体のために鈍重で遅く、戦闘機同士の空戦には向かなかったようです。)
愛知県は戦闘機生産の中心地だった?
さて、話を日本に戻しますが、戦前から戦中にかけて愛知県では戦闘機の製造工場が複数しのぎを削っておりました。(上記の堀越二郎が設計した九試単座戦闘機は三菱製)
三菱九試単座戦闘機はその後、太平洋戦争で一時期無敵を誇ったゼロ戦の開発へとつながるわけですが、ベース機として九試単座戦闘機が採用されることとなった最終試験では、中島飛行機の【キ11】のエンジンを「寿五型」に変更した機体【中島九試単座戦闘機】との 飛行試験競争を行っております。(【風立ちぬ】の名シーンでもあります)
この苛烈な試験競争に敗れた中島飛行機ではありますが、実はゼロ戦の過半数は三菱とライセンス契約を結んだ中島飛行機が製造しております。愛知県は戦闘機製造の中心地だったわけです。
※注)中島飛行機は1945年の終戦とともに12社に解体されました。そのうち現存するものとしては、SUBARU自動車(旧:富士重工業)やマキタ(※家庭用工作機械で有名)などがあります。(プリンス自動車は日産に吸収されるかたちで消滅)
愛知航空機から愛知機械工業へ
この地にあったいくつもの軍需工廠の中で、実は太平洋戦争末期に逆ガルウイングの機体を実用化させたものがあります。それが【愛知航空機】の【流星B7A】であります。写真(↓)の【流星】は魚雷を装備しておりますが、注目は翼の形状だけでなく【脚が格納されている】点です。ある意味、当時の逆ガルウィング戦闘機の完成形であり、抜群の高速性能と軽快な運動性能を誇り、まさに“流星”の名のとおりのインパクトのある機体だったのですが、B29による爆撃と1944年12月の東南海地震による工場の被災などにより生産は遅れに遅れ、最終的な生産機数は110機にとどまり、幻の名機となりました。
(※零戦は計10000機製造)
もちろん愛知航空機も終戦とともに解体されるのですが、現在の日産系自動車部品メーカーである【愛知機械工業】の前身となりました。戦前戦中の軍事技術はその後、日本の自動車開発やタンカーなどの船舶開発に生かされ、高度経済成長を支えることとなるわけです。
愛知機械工業にて名車パオの製造?
7月14日の記事でアップしたとおり、我が愛車日産パオは平成元年製なのですが、わずか3ヶ月間のみの受注生産(その間に予約された全台数を生産)という形を取っておりました。
ところが日産の予想以上の注文が入り、予定していた高田工業(神奈川県横浜市)での製造のみでは追いつかないという判断もあって、実際には愛知機械工業でその大半が製造されたわけです。うちの愛車も高田工業ではなく愛知機械工業製です。
ながながと書き連ねてしまいましたが、
『パオには流星の血が流れているかも』と言いたかったわけです・・・。だから先日『宝くじで7億円当たったらパオをガルウィングに改造する』って言ったのです・・・。
ちなみに愛知機械工業のホームページ(↓)