先日、下関市内のデパ地下で魚を買って、煮魚にしました。
釣り針が出てきました・・・ 危ねーです。
売ってる魚って、網で捕るものだけじゃないのだと分かりました。。。
城下町長府の中でも、もっとも城下町の面影を残す古江小路。この城下町長府の武家屋敷は合戦に備えての防衛的配慮がしてあり、土塀は防壁として築かれています。そのため、町筋は必ずしも碁盤の目ではなく、T字形になった部分も多く、わざと迷路のように作られた所もあるのです。運転するものには辛い路地です。
また、この小路には、長府藩初代藩主毛利秀元(ひでもと:毛利元就の孫)により、京都から招かれた侍医兼侍講職を務めた格式のある家柄であった『菅家長屋門』があります。 城下町長府へ来られた方が必ず訪れる場所でもあります。
車の運転を始めてから既に25年を経過しましたが、この間、二度ほど交通事故に遭いました。。。
一度目は信号待ちをしているときに後ろからチョコンと追突された件。
二度目はT字路で右折しようとして、左方から突っ込んできた車と接触した件。
どちらも怪我をするようなものではありませんでしたが、気をつけないと行けませんね・・・。
昨今、高齢者の交通事故があれこれと取り沙汰されていますが、若者の中にも乱暴な運転をする人がいますし、扱いようによっては車が危険なものとなることに変わりはありません。
ATはアクセルとブレーキの踏み間違いが多いと以前から言われておりますが、二つのペダルが隣り合った配置である以上は今後も同様の間違いによる事故は起こりそう。
今こそ日本人が知恵を出して、構造的に事故を起こしづらい車を発案して欲しいものです。(それかもう、柔らか素材のボディにするとか…奇妙な発想も必要な時期では…。田舎暮らしの高齢者が免許返納を躊躇するのは当然と言えば当然なので)
実家に帰った際、古いアルバムを捜索する目的で押し入れの天袋を片づけることになったのですが、見たこともない黒い鞄の中から、フィルムカメラが出てきました。
オリンパスOM-1。
驚きました。二年前に亡くなった父にカメラの趣味があることは知っていましたが、オリンパスのカメラを持っていたことは全く知りませんでした。
驚いたというのは、『やっぱり親子だなぁ…』ということ・・・
私は売れ筋のキャノンやニコン、あるいはソニーのカメラには食指が動かず、これまでずっとオリンパス製のカメラを買いつないできたのですが、どうやら父も同じ趣味だったようです。
小さな一眼レフ+レンズは標準画角とも言える50mmですが、f1.4の明るいレンズというところも良いですね。
オリンパスOM-1は、日本のカメラメーカーOLYMPUSが1973年に発売した一眼レフカメラ。私が生まれたばかりの頃に発売されたものです。
オリンパスの一眼レフ、OMシリーズの初代となる機種です。
そういえばかつて父とカメラの話をしたとき、しきりに『フォーカルプレーンシャッター』と言っていたのは、このカメラのことだったのかもしれません。
E.ZUIKO 135mm f3.5 はいわゆる中望遠レンズ。付属の50mmレンズと、この135mmレンズの二本の単焦点レンズで撮影に臨んだものと思われます。
天袋には大きな段ボール箱がいくつかあり、かなり古い写真やアルバムも同時にでてきたのですが、母や私たちのうん十年前の写真がたくさん見つかりました。
亡くなった父は、撮影の癖も私とよく似ているように思われ、懐かしさとともに胸にじんとくるものがありました。
写真やカメラなどの遺品をとおして亡き父と話をしている気になりました。
無駄のない機能美を感じさせるデザイン。
※ファインダー内に埃が浮いており、買い取りの価値はほぼ無さそうです。
父の形見として実家に置いておこうと思いますが、マウントアダプターを購入して、50mmレンズの写りを試してみたいとも思っています。