錆との戦いは今日も続く

日産パオの走行距離、50万㎞を超えました・・・

さらば愛しのカブトムシ(生産終了なんて・・・)

 愛すべきカブトムシ

 フォルクスワーゲンビートル。

私が子どもの頃、『ワーゲン』と言えば即【ビートル(旧型)】のことだった。

父は『ぼろくそワーゲン』と呼んでいたが、当時既にビートルは古き良きデザインの車というイメージであり、愛すべき外車でもあった。

カブトムシのイラスト(オス)

ポルシェ博士のデザイン

初代のビートルは、【タイプ1】とも呼ばれているが、そのデザインは、フェルディナント・ポルシェ博士(Ferdinand Porsche, 1875年9月3日 - 1951年1月30日)によるものである。オーストリアの工学技術者であり自動車工学者であるが、実はティーガー戦車(軍には採用されず、試作のみに終わる)、超重戦車マウス(こちらは試作二両のみであり、一両は戦闘に参加した)、エレファント重駆逐戦車といったドイツ国防軍戦車や、150tに及ぶ軍用トラクター、風力発電機も手がけた多才な人物であった。

ビートルはそもそもナチスドイツが国民車として構想したものであり、 アドルフヒトラーから『典型的家族の移動ニーズを満たす乗り物』の開発を依頼されたポルシェ博士が4年がかりで設計士、1938年にオリジナルモデルが完成している。

ナチスうんぬんとは別にして、卓越した技術とセンスをもった技術者であったことは間違いない。

ja.wikipedia.org

 

まさしく“天才が生み出したデザイン”の車ということになる。

フリー写真 フォルクスワーゲンのビートル・カブリオレ

ただし近年のニュービートルは、本来のビートルのアナログチックな曲線美を失ってしまい、魅力は半減したものであるが、それでも先日の【VWビートル生産終了】のニュースを聞くと寂しい思いになってしまう。

www.sankei.com

 

生産を終了させる理由は明快で、『あまり売れなくなったから』。

これはやむを得ない判断らしい。

しかし、旧ビートルの存在意義をあらためて思い出すようなニュースでもあり、私のような古い車が好きな人間にとっては残念なニュースでもあった。

古い車には【維持】の問題が大きくのしかかり、我が家の家計を圧迫する問題でもあるが、それでもいわゆる“愛着”を抱くに足る車との生活は失いたくないものだ。

旧ビートルと51年間も付き合い、さらにレストア作業に踏み切ったアメリカ人の記事がある。(↓)

forride.jp

気持ちは痛いほど分かる。車体の劣化が進み、エンジンも不調になり、修理のための部品が廃版になってくると、『そろそろ限界か?』との思いが浮かぶとともに『誰か助けてはくれまいか?』と願いたくもなるわけで。。。

 

天皇家との縁

ちなみに、天皇陛下(現在の上皇陛下)が黄色のワーゲンに乗っていたことをご存じだろうか? これもまた見事なデザインであり、乗る人のセンスまでうかがわれる。

f:id:nissanpao:20190711232644j:plain

 

 こういう魅力的なデザインの車が無くなっていくのは、デザイナーの劣化なのか、はたまた行き過ぎた商業主義なのか、それとも消費者である我々のセンスが劣化してしまっているのか・・・。

 

 

 誰か助けてくれませんかね・・・

 

 

 

 

  

 

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