何か災害が発生すると、のんびりした日常を切り裂くようにニュース速報が流れてきます。大きな地震があるたびに、2011年3月11日に発生した東日本大震災を思い出します・・・
翌日の新聞(↑)
地震の日、私は夜勤明けで自宅におりました。お昼を食べ、のんびりテレビを見ているときだったと思います。
『東北の海上沖で大きな地震が発生した』との速報につづき『東日本の広い範囲で大きな津波が到達する』との情報も流れ、ただ事では無いことが分かりました。
いつもは夜勤明けの日は眠くて昼寝をしてしまうのですが、この日ばかりはテレビのニュース映像にかじりつき、次第に津波が到達する映像が流れてきて、『あぁぁぁ』と力なく何度も叫んでおりました。沢山の車や建物が黒い津波にのみ込まれ、まるでおもちゃのように簡単に壊され流されていく様は、現実では無いようにも思えました。
さらに翌日までには福島第一原子力発電所が大きな被害を受けて放射性物質が放出されたのではないか、との情報と、原子炉建屋が水素爆発する映像が繰り返し流れ、『この国はどうなってしまうのか?』と多くの人が不安に駆られた日々でもありました。
山口県では直接的な被害もなくほぼ日常通りの生活だったのですが、とはいえ日本国中が大騒ぎの状況でもあり、落ち着かない気持ちが続いておりました。
数日がたって、ニュース番組には災害復興の専門家を名乗る大学教員が複数登場し、震災後の高台移転を勧める人や、模型を使って復興計画を紹介する人や、政府関係者の責任を問う人たちが立て続けにあれこれと訴えておりましたが、私にはそのどれもが違和感を感じさせるものでした。
津波の被害にあった人たちは今生きることに必死であり、見失った家族や知人のことが心配であったはずですが、その心の部分をマスコミがしっかり受け止めているフリをしているようで不自然に感じたのです。
津波の恐怖で心に傷を負った人も居れば、傷を負いつつもやはり生まれ育ったこの地でなんとか暮らしたいと願う人も居るはずで、人の気持ちは単純ではなかったはずです。
昨夜の新潟県の地震では、8年前に比べればさほど大きな被害は出なかったようですが、それでも突然の災害に襲われて不安の思いで生活している人たちが多く居るのではないでしょうか。どうか落ち着いて生活ができますように。
2011年、山口県ではいつものように梅が咲いておりました。