年末年始は例年どおりに年越し蕎麦からのお節という流れで過ごしたわけです。
数年前に父が亡くなったことを機に年賀状もほぼやめてしまいましたし、なんだか暖かい日々が続いておりますので“正月感”に乏しい気もするのですが、おかげさまで概ねのんびり過ごすことはできました。
私の父は定年まで勤め上げた人であり、実家で使っているお屠蘇用の銀杯は勤続○○年の祝いに受け取った物のようですが、次第に年期物となってきました。
かつては年賀状作成、午前0時からの三社参りなど恒例行事がもっとあったわけですが、最近は日本中がルーズになってきており、我が家もその流れに乗っております。
除夜の鐘は、“うるさい”とクレームを言う人が増えたために廃止するお寺も多いそうですが、クレーマー優先の社会になるのもなんだかなぁ、と思っております。
しかし、実家の母を初売りに連れて行くというミッションは今年も生きておりましたので、小倉城を眺めつつ、デパート巡りをし、ついでに八坂神社へお参りしてきました。
今どきは“ついでに”という罰当たり感をさほど感じることなく、このくらいがちょうど良いと思うようにもなってきております。
恒例行事にルーズになったとは言いつつも、けっこうな人出でしたし、参拝の列に誰一人割り込むこともなく、きちんと順番を守るあたりはちっともルーズにならず、日本人の美徳でもあり、ある意味欠点でもありますね。
最近は“二拝二拍手一拝”の流儀をきちんと行う人も増えてしまい、そういったところの“きっちり感”は増しておりますが、まともな歴史学者の意見を聞くと、玉串や榊も納めていない者が“二拝二拍手一拝”だけを行うことは本来の礼儀に反しているらしく、いっそのこと、単に手を合わせて日々の生活が送れていることに感謝を思うだけの方がよほど良いらしいです。(その方が参拝者の列も流れがスムースになって良いかも)
氏神様である住吉神社にもお参りしました。小さい頃から毎年来ていた神社で、当時、深夜の路面は凍結していたり雪が舞っていたりしたものですが、すっかり温暖化ですね。
ここの本殿は国宝に指定されており、ありがたい物ですが、今回もう少し脇道を進んでみると、今まで気付かなかった大楠に出会うことができました。
お神籤は引きませんが、大楠の木の幹に手を当ててお願い事をしてきました。
さて、どんな一年になるでしょうか・・・